(3)明治初期のまつり

明治初期の山車の飾り物について概略以下のような記録があります。
一番は関戸町高さ二丈の猿田彦命、二番はお祓い箱を飾った宮造りの屋台で上新町、三番は上宿の三蓋笠鉾、四番は寿老人に鹿の上中宿、五番は北横宿、南横宿の二区、六番は中宿の鐘鬼、七番は下新町の紅木綿で大鯛に恵比寿が垂れた飾り、八番は上川岸の牛天神、九番は中川岸の行平に松風と村雨、十番は下川岸の素戔嗚命の八岐大蛇、十一番は新橋本、十二番は下分町…などとありまして、現在の神武天皇、仁徳天皇、経津主命などの皇祖系の人形は明治初期の段階ではまだ見当たりません。

電気・電話の普及

今こそ心をひとつに 

佐原では明治42年(1909)電燈線が張られるようになり、祭礼に影響が出始めました。山車は屋台の上に一丈余(約3m)の大人形があり、人を見下ろして移動することに面目があったので、大正に入って「迫りだし」という工夫をして人形の丈を低くすることが行われるようになりました。