(11)おらんだ楽隊

おらんだ楽隊

香取神宮神幸祭の御座舟渡航の時に、引舟隊として神楽を演奏したことから始まりました。香取神宮で行われる4月15日の例祭と、11月30日の大饗祭及び、午年の式年神幸祭に奉納演奏します。

おらんだ楽隊と呼ばれていますが、特にオランダから伝わったということはなく、幕末から明治にかけて古来の神楽に洋楽を取り入れたことでこの名がついたと言われます。伝承者は扇島地区の長男で、太鼓・小太鼓・横笛等を吹き鳴らしながら行進曲風の並あし、速あし、かけあしの3テンポで行進をします。昭和38年には県の無形民俗文化財に指定されています。

香取神宮の神幸祭は鎌倉時代に始まったとされていますが、おらんだ楽隊が奉納されるようになったのは明治8年からです。楽隊の編成は大太鼓一人・小太鼓、横笛が複数人で、太鼓は和太鼓ではなく洋楽器の太鼓に「右三ツ巴」が描かれています。

おらんだ楽隊

地元の方の話でも楽隊の起源は定かではありません。伝承では明治の初め、扇島の高安本世堂病院に元官軍の鼓笛手が入院しており、その人から教えられたとされていますが、どこの家臣であったかは伝わっていません。おらんだ楽隊の衣装には水戸藩の官軍のそれとの共通点が多いことから、戊辰戦争で藩兵を官軍として佐原付近まで出陣した水戸藩の藩士の中に、高安本世堂病院で治療を受けた際に伝授した者がいた可能性が考えられます。

そうだとしたら、なぜ水戸藩ということが伝承されなかったのでしょうか?戊辰戦争の数年前に、佐原村の住民と天狗党(水戸藩の尊攘激派)との抗争事件、いわゆる佐原騒動が起きていること知られていますが、この事件を始めとした天狗党の鹿島・香取地方での乱暴狼藉への悪評が残っていたため、「水戸藩」を名乗ることが憚られたのかもしれません。