(2)中世以前の佐原

中世以前の佐原
 
 

 香取市をはじめ利根川下流域の各地には、貝塚や古墳などが数多く遺されており、香取ヶ浦の漁労を生業としていた人たちが住んでいたことがわかります。天変地異や疫病などに対してなす術のなかった人たちにとって、神様を祭るのは必然の行為であり、初めは小さな社を守り神としていたものが、次第に人が多くなるにつれて大きな神社となっていったのが、現在の香取神宮のはじまりではないかと思われます。香取神宮には国宝である「海獣葡萄鏡」という、奈良正倉院御物、四国大山祇神社の神鏡とあわせて日本三名鏡と称される鏡が保管されていることなどから、朝廷からの保護を受けて次第にその神領が拡げられていき、同時に人も多く集まってくるようになります。
 大きな内海であった香取ケ浦も、平安時代から少しずつ開発が進められていきますが、「佐原村」として史料に登場してくるのは13世紀の鎌倉時代に入ってからです。
 応安5年(1372)の文書(「佐原村南かう屋同沖検注雑事帳」)には、商工業者らしき名称のほか「をの座」、「かるもの座」などの座(商工業の組織)があり、既にかなりの人々が生活していたことを伺わせます。

中世以前の佐原
  [香取市教育委員会提供写真]
  

 ここで、特異と思われる佐原の町名についてご説明しておきたいと思います。年二回佐原の町を二分して行われるお祭りに大人形を乗せた山車が出ますが、そこには町内の名前が表示されています。このなかに「上宿」、「上中宿」、「下宿」、「横宿」、「浜宿」、「田宿」、「寺宿」、「仁井宿」など「宿」の町名がついている屋台が8台もあります。(昔からの地名であり、郵便番号簿にはこのような地名はありませんが、地元では今でも普通に使っています。)
この「宿」とは交通の要地に形成された中世の都市的な「場」という意味をもっている・・・ということのようです。
宿場町ではない、商業のまち佐原にこれだけ多くの「宿」という名が残されている・・・
ちょっと面白いと思われませんか?