(4)明治以降の佐原

明治以降の佐原
  [香取市教育委員会提供写真]
 
 
 

 明治に入っても、佐原の繁盛ぶりは続きます。大正7年の千葉県「千葉県物産販路要覧」によると、千葉県下で佐原の米穀商が第一位、三位、七位、十一位を占めていました。また、大正末期の佐原駅は貨物の発出量が全国3位でした。まだまだ水運が大きな役割を果たしていた時代に、それだけでは足りずに鉄道も大いに活用していたのです。
 戦前の千葉県の中でも香取は養蚕が盛んな地域でした。今ではその残影を見ることは出来なくなりましたが、佐原の駅から150mほどのところにかつては「佐原繭市場」と呼ばれた乾繭工場がありました。もうすぐ終戦という昭和20年の7月、佐原に空襲があり、乾繭工場も機銃掃射を受けて高さ37mの煙突にも銃弾が打ち込まれたとのことです。この煙突も平成8年に取り壊され、その一部が伊能忠敬記念館の裏手に運ばれています。
 佐原駅のからほど近くに、8軒ほどのお店が集まった「まゆショッピングセンター」がありますが、ここが繭市場の跡地です。

明治以降の佐原
  [千葉県立大利根博物館所有]
 
 

 観光の面でも、明治に入って利根川を利用した大型の船が就航するなど、大いに賑わいます。明治時代の歴史家でもあり評論家でもあった徳富蘇峰が「水郷之美冠天下」と絶賛したように、風光明媚な自然を求めて多くの旅人、観光客が訪れました。
 利根川を行く旅人の目印となった常夜灯が今も残る津宮の鳥居河岸脇には、当時2軒の宿屋が営まれており、与謝野晶子が詠んだ「かきつばた 香取の神の津宮の 宿屋に上がる板の仮橋」という歌を刻んだ碑に往時のことが偲ばれます。

明治以降の佐原
  [香取市教育委員会提供写真]
 

 このように繁栄した佐原に金融機関も進出し、今も西洋風レンガ建築様式の建物が目を引く、川崎銀行佐原出張所(大正3年建築、後の三菱銀行佐原支店)も開設されます。
しかし、昭和8年(1933)に鉄道が佐原~松岸間まで運行され、昭和11年(1936)に水郷大橋が完成すると、利根川を利用した水運業はその活動範囲を奪われていきます。列島改造、高度成長期など自動車輸送の全国的普及や、利根川北岸の土地改良事業により水郷の風景が一変するなど、それまで町を支えてきた機能が徐々に消滅していきました。

明治以降の佐原
明治以降の佐原
 
 

 観光もより遠くへ行けるようになり、水生植物園のあやめ祭りや、年2回の大祭など季節限定的な観光地となっていきました。しかし、次第に観光の目的が多様化してくると、あわただしい都会で暮らす人々が地方の人との触れ合いを求める、という観光スタイルが生まれてきます。そのような流れのなか、佐原の古い町並みを保存しようという機運が盛り上がり、NPO法人が設立されました。さらに、小野川をきれいにする取り組みが行われたり、お祭りも本来の神事という固定観念から次第に観光にも寄与するようにと変化していきました。

 佐原の玄関口であるJR佐原駅も、平成11年には町並みにマッチした素敵な駅に生まれ変わりました。現在は、郷土の偉人「伊能忠敬」をNHKの大河ドラマに取り上げてもらい、全国的な知名度を上げようとしています。

 首都圏から近いこともあって、年間を通じて多くの観光客の方が訪れる佐原の町並み。
江戸情緒がたっぷり味わえる佐原のまちを、ゆっくりと歩いてごらんになりませんか。
お待ちしています。

この「佐原の町並み」は以下の文献を参考にさせていただきました。

・「佐原山車祭り調査報告書」(旧佐原市教育委員会 平成13年3月30日)
・香取市ウェブサイト 香取遺産(アーカイブ香取遺産)
   Vol-069「旧佐原繭市場の煙突 繭と銃弾」