(8)宝物・文化財

県指定文化財以上のものだけでも、200点余りを収蔵所有しています。

国宝『海獣葡萄鏡』

宝物・文化財

 正倉院御物及び四国大山祇神社の神鏡とを合わせて『日本三銘鏡』と称され、昭和28年に国宝指定された、千葉県の工芸品で唯一の国宝です。

重要文化財『本殿』『楼門』『古瀬戸の狛犬』

宝物・文化財

 平安時代には伊勢神宮と同様に20年ごとのお建替えの制度がありましたが、現在の本殿は、元禄13年(1700年)徳川5代将軍徳川綱吉によって造営されたものです。(昭和52年重文指定)
 目にもあざやかな朱塗りの楼門も本殿と同じ元禄13年(1700年)、本殿と共に建造されました。楼門内安置の随身は俗に左大臣右大臣と呼ばれていますが、正面に向かって右の老人像は「竹内宿祢」、左の壮年像は「藤原鎌足」と伝えられています。楼上の額は東郷平八郎の筆によるものです。(昭和58年重文指定)
 阿吽(あうん)一対の古瀬戸黄釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)です。小柄ながら野性的で鋭い気迫が溢れています。類品は全国でも数例しかなく、極めて貴重なもので特に阿像は250円通常切手のデザインとなっています。(昭和28年重文指定)

香取神宮の古文書

 香取神宮に関する古文書は、神宮にあるもののほか、旧社家やその他に数多く現存しています。特に神宮の大禰宜職を世襲した香取家に伝わる『香取大禰宜家文書』は、平安時代後期から江戸時代に381通があり、重要文化財に指定されています。神宮所蔵の古文書としては、県指定有形文化財の『香取古文書』5巻があります。鎌倉時代初期から江戸時代末期の物で『源頼朝の寄進状』治承5年(1180年10月)・『関白近衛基通家政所下文写』建久8年(1197年)・『足利尊氏寄進状』観応3年(1352年7月)等が残されています。 

要 石

宝物・文化財

 動かせないもの、動かしてはならないものの比喩に使われることがある要石(かなめいし)は、鹿島神宮と香取神宮にある、地震を鎮めるとされる霊石です。香取神宮の要石の地上部分は丸く、鹿島神宮の要石の地上部分は凹んでいます。
 地上に見えている部分は全体のほんの一部で、地中深くまで伸び、地中で暴れて地震を起こす大鯰あるいは竜を押さえていると言われています。鹿島神宮の要石は大鯰の頭、香取神宮の要石は尾を押さえているとか、あるいは、2つの要石は地中でつながっているという言い伝えがあります。1664年、徳川光圀が要石(香取神宮、鹿島神宮のどちらかは資料により一定しません)の周りを掘らせましたが、日が沈んで中断すると朝までに元通りに埋まってしまったということが2日続いた後、昼夜兼行で7日7晩掘り続けたけれど底には達しなかった、という話も残っています。
 香取神宮の要石は、総門の手前を左に入る小道の先にあります。

香取神道流

宝物・文化財

 わが国最古の権威ある流儀である天真(てんしん)正伝(しょうでん)神道流(しんとうりゅう)(香取神道流)は室町時代に形成され、以来中条流・影久流・鹿島神道流などが誕生しました。始祖である飯(いい)篠(ざさ)長威(ちょうい)斎家(さいいえ)直(なお)は、旧飯篠村(現香取郡多古町飯篠)に生まれ、後に、旧丁子(ようろご)村山崎(現香取市)に住み、香取神宮境内の梅木山不断所で剣法の奥義を極めたと伝えられています。一時は将軍足利義政に仕えたようです。この流儀は現在も継承され、その型は県の無形文化財となっています。神幸祭の時には奉納演舞が行われます。
飯篠長威斎家直の墓は、楼門に向かって左手に伸びる旧参道沿いにあります。

金剛宝寺跡

宝物・文化財

 金剛宝寺は、神仏混淆(こんこう)時代(奈良~江戸時代。明治元年に神仏分離令が出されて終わる)に香取神宮に属して置かれた寺院(神宮寺)で、真言宗に属し山号は香取山と称し、神宮の本地仏十一面観世音菩薩を本尊としていました。明治5年(1872年)ごろ、すべての伽藍が取り壊され、売却されたとされ、現在残っているのは、元禄13年(1700年)九月吉日在銘の手水鉢ぐらいです。本尊の十一面観世音菩薩は佐原の諏訪上にある荘厳寺に、四軀の懸仏が牧野の観福寺へ篤志家によって寄進され国の重要文化財として現存しています。
旧参道を飯篠長威斎家直の墓を左手に見ながら少し進んだ右手にある祖霊社が、金剛宝寺の跡です。