(9)王宿(おやど)と桔梗姫

王宿と桔梗姫

 観福寺から佐原小学校の方へ向かうと『王宿』と書かれた門柱があります。小貫さんのお宅ですが代々王宿と呼ばれています。醍醐天皇の御代、延喜年間当時この辺りは、香取の海の船着き場であったようです。ここに発着する船で潮来や鹿島、さらには霞ヶ浦を経て常陸国(茨城県)に連絡していました。当時、小貫さん宅は庄司(荘官)をしていたものか、かなり権力のある豪族であったようです。
 当時、常陸の国を治めていた平将門が関東一円を巡視の際、承平2年(932年)の暮れに当地へおいでになり、小貫家に宿をとりました。平将門はこの館で越年し、鎮護安全を誓って小貫家に稲荷大明神・蔵王権現の両社を建てたと云われます。また、近くの観福寺の住職が年賀の挨拶をするため使者を遣わしましたが、将門は使者が七度半迎えに来た後でようやく同寺に参上した、という話も伝わっています。
 ところで、香取市のお隣、成田市には成田山新勝寺がありますが、こちらのお寺は将門による東国の混乱を恐れた朱雀天皇が、940年に将門調伏のための不動護摩の儀式を行ったのが開山起源となっています。朝敵となった平将門はやがて討たれてしまいますが、将門とその家来の子孫は千年以上たった今でも成田山新勝寺へは参拝しないとされています。『おやど』の家でも代々、長男は成田山参詣しない習慣になっているそうです。
 また、将門は小貫家を宿とした折に、当家の娘の桔梗姫を第二夫人としました。桔梗姫はその名の通り器量も良く聡明で、将門に大そう気にいられましたが、そののち将門と桔梗姫がたどる悲しい運命を慮る故でしょうか、『おやど』の家の庭には一株の桔梗も植えないとのことです。
平将門の伝承は、利根川流域に多く残っていますが、この王宿もその一つです。