(2)商家の主人としての伊能忠敬

商家の主人

 室町時代末期(1560年代)現在の佐原、神崎町、栗源を含む地域は矢作(やはぎ)領といわれ、国分大膳の領地でありました。伊能家初代景久が、この国分氏の幕下であったようです。
 その後、徳川の時代になっても伊能家は庄屋のような形で有力者として存続し、寛文2年(1662)五代目の景知が家督を継いで延宝6年(1678)から酒造を始めました。この頃、すでに伊能家では年貢米の輸送、小百姓への貸金、江戸での米穀売買などで財を築いていきました。忠敬は伊能家10代目にあたります。
 忠敬の4代前の景利(妻みちの祖父)は、隠居後、佐原村の古い記録を集め、「部冊帳」という記録集を編集し、また、同族には摂取魚彦(かとりなひこ)という国学者として名を成したすごい先輩がいました。名門伊能家に婿として迎えられた忠敬は、優秀であると同時に自分自身も名を成したいという欲求は持っていたことだろうと思います。