(8)大日本沿海與地全図の完成

 
大日本沿海與地全図の完成
  [伊能忠敬記念館提供写真]

 忠敬は文政元年(1818)地図の完成を見ることなく73歳の生涯を終えました。

 文政4年(1821)ついに「大日本沿海與地全図」(合計225枚)および、「大日本沿海実測録」(14巻)が完成し、幕府に上呈されました。
地図の作製は、幕府から忠敬に対して命ぜられたものでしたから、弟子たちは忠敬の喪を秘して作成を続け、幕府に上呈後、なんと死去して3年の後になってようやく喪を公表したのです。
「大日本沿海與地(よち)全図」というのが正式な名称ですが、この“與地”というのは、輿(こし)のように万物を乗せる地すなわち大地を指すという意味で、地理ということばの明治以前の言い方であったようです。